第四章 本にする原稿をまとめよう第四章 本にする原稿をまとめよう■誰もが情報発信をする時代 先にご紹介したインターネット上の日本国内のブログ(日記形式のホームページ)人口は、百万人とも二百万人ともいわれています。 それだけ多くの人が、日々さまざまな情報を発信しています。 もちろんブログ以外にも、自分のホームページをもっている人は、無数にいます。 核家族化が進み、地域とのつながりなどが薄れてきた昨今です。 新たな人と人のつながりを模索する動きが、インターネット上に表れています。 いい意味での自己顕示欲だと思います。 自己表現なのです。 「私はここにいます」「私はこのように思っていますよ」というメッセージが読み取れます。 本来、出版も同じ要素から出発して、定着してきたように思います。 さしずめ小説家や詩人は、自己顕示欲の塊とも思えます。 インターネットの爆発的な普及を目の前にして、自分の手がけてきた出版の世界を振り返ると、情けないぐらいに遅れています。 まさに前世紀の遺物、滅んだはずの恐竜がいまだに歩き回っているような状態です。 でもそれは本の文化の問題ではなくて、出版業界の体質の古さと保身に多くの原因があります。 さらに旧態依然とした現状に、甘んじているどころか「協力出版」や「懸賞募集」と銘打った姑息な手口で、今度は本を作りたい人に、たかっているとしか思えません。 誰もが情報を発信する時代に対応して、本を作る現場も大きく変わらなければならないのです。 自分たち出版人の社会的な存在価値が、どこにあるのかを考えるべきだと思います。 ■文字で自己表現する人の底辺が広がった どんなに感性の優れた人であっても、ある日突然名作を書くことは不可能です。 その点は同じ芸術であっても、絵画や音楽とは根本的に異なります。 文章を書く作業には、日々の習慣が欠かせません。 試行錯誤が必要なのです。 また、本を作る、文章を書くことの対極には読者がいます。 コミュニケーション手段としての文章は、読者がいて始めて成りたちます。 評判のいい著者は、受け手である読者の反応を見ながら、文字を選び、文章を完成させていきます。 もちろんときには、自分自身が発信者の著者であると同時に、受信者としての読者にもなります。 日記を書きつづけている作家さんも多いようです。 まさに情報発信と受信の両方を兼ねたのが日記です。 文章の習熟への最高のトレーニングです。 ブログは従来の日記の要素と、さらには外へ向かっての情報発信の要素をもっているのです。 従来の文筆家がおこなってきたことが、すべて集約されています。 ブログが盛んになることによって、出版活動に新たな可能性が開けてきたと思うのも、実はブログに内在するこのような要素に着目したからです。 ■それでも本にすることとの間に障壁が 底辺が広がったのですから、当然そこから優れた作家さんが登場します。 すでにインターネットやブログの世界から、スポットライトのあたる世界へ飛び出した人もいます。 「電車男」なんてベストセラーもでてきました。 でもブログやインターネットの人口を考えると、まだまだ少数です。 ブログと本の世界をつなぐ架け橋が、いまだに貧弱なのです。 その架け橋の一つになると私が思っているのが、誰でもできる本作りです。 手の届く範囲の経費で、なおかつ広く普及させる方策を提供したいのです。 さらにはブログの特徴を生かした広報活動があります。 みなさんはすでに、自分の本を宣伝する手段さえもっているのです。 このような新しい状況の変化を利用しない手はありません。 いままでのように自費出版業者の言いなりになって、漫然と本を作り、ただ待っているだけでは、作った本の在庫の山を見ながら、ただただ後悔するだけの日々がやってきます。 ■ブログと本作りで新たな世界が広がる さまざまなブログを見ていると、「書くネタがない」このような書き込みを目にします。 テーマ設定の問題だと思うのです。 自分の興味のあるテーマを決めて、さまざまな情報を探索すればいいのです。 頭の中に蓄積された過去の経験や、周辺のことを書いていればネタは尽きてしまいます。 本とブログを書くことは同じです。 山に籠もりっ放しの作家さんは皆無です。 常に新しい刺激と知識を仕入れなければ、ネタ切れは当然の結果です。 あとは自分の感性を磨くことです。 感動する心をもちつづける努力です。 いまのような時代だからこそ、人の心や自分の感性を大切にしたいですね。 本を書こうと思った瞬間から、新しい世界が開けます。 自分でも気づかなかった自分の中の、精神世界への旅立ちの瞬間です。 ■文章で伝えることの意味 写真などを中心にブログを作っていた方でも、結構文章量が増えていきます。 やはり文字って、自分の意思を伝える最高の手段なのだと思います。 ブログで、文章を書く楽しさを知った人も多いのではないでしょうか。 思いや考えを伝えるのに、文字と文章はいまも一番優れた手段のようです。 読んでくれる人が一人でもいると、ブログをつづけようって気にもなります。 本も同じです。読んでくれる人がいるから、出版しようって気になります。 本を作ることもブログを公開することも、人と人とのコミュニケーションです。 それも不特定多数の、まだ見ぬ人、会ったことのない人との会話です。 文章を書くということは、まずは自分との対話です。 一つひとつの物事に対して、自分自身に語りかけ、自分自身がひも解いて答えていきます。 それが一まとまりになったとき、周りの人やまだ見ぬ人へと発信します。 自分の思いや考え方に共感してくれる人と、出あったときは最高の幸せです。 ときには反論をもらうことも喜びになってきます。 お互いの目線を合わせながらの、会話のようなコミュニケーションが、ブログでも本でも一番大切なような気がします。 ■ブログは本作りの前段階 ブログと本とは、さらに文字や画像をツールとして使うところに、共通点があるように思います。 違いがあるとすれば、ブログのほうがラフに書けるってことでしょうか。 匿名が普通で、さらにタダですから、ちょっと無責任でも許されます。 それでも何かを伝えたいから、多くの人がブログを始めるのだと思います。 誰もがみんな、伝えたいことがあるのです。 言葉にもならないような何かを。 私は、皆さんのブログを見ていると、本にまとめる前の試行錯誤を連想します。 本の原稿をまとめる前に似ているのです。 ああでもない、こうでもないとやっているうちに、何かがひらめきます。 「よし、このことを整理して伝えよう」。 その伝達手段が出版です。 それが本作りなのです。 皆さんは、知らず知らずのうちに、本作りの前段の作業をやっているのです。 もちろん、本作りまで至らないことが大半でしょう。 でもブログが盛んになれば、きっと素晴らしい本がどんどんできてくることでしょう。 ■意外と読みにくい ブログの文章 私はヒマさえあれば皆さんのブログを訪問しています。 それこそ多種多様です。 百花繚乱って言葉がピッタリかもしれません。 携帯電話が個人同士の通信の軸なら、ブログは個人と社会の接点です。 ブログは、テレビなどの一方的なマスメディアとも異なります。 自分ひとりが見て楽しむのなら、オープンにする必要はありません。 ブログは、個人と社会の双方向のコミュニケーション手段の、主役になりつつあります。 誰でも誰かに知ってもらいたいことや、聞いて欲しい考えや思いがあるのではないでしょうか。 庭に咲いた一輪の花の可憐さを、誰かに見せたいってこともあるでしょう。 自分の胸のうちの苦しさを吐きだしたいってこともあります。 人間同士なんだから、きっと分かってくれる人がいる。 喜びや悲しみを共有してくれる人がいるはずだ。 ブログって意外と、すごく人間っぽい手段なのかもしれません。 問題はブログの表現方法です。 もちろん自分勝手でいいと思います。 でも一工夫すれば、訪問者にとって、もっと読みやすくなります。 本作りの前段階としてのブログについて気づいたことをご紹介します。 ■ブログにはブログ用、本には本のための文章構成が必要です 私は出版屋です。 どのようにすれば見やすいかをつい考えてしまいます。 これから書くのは、どうすればブログを、もっと多くの人に読んでもらえるか、さらには楽しんでもらえるかを考えた方法です。 私も最初は、いつもの本の原稿や雑誌の記事と同じように書いていました。 でもなぜか読みづらいのです。 特にほかの人の書いたブログが……。 これは逆の立場でも同じでしょう。 たぶん私のブログも見ずらいと思いました。 書いた本人は、何が書いてあるのか分かっているから、すいすい読めるのです。 さらに本ならば全体のうちの、どのあたりまで読んだのか、おおよそのページ数で見当がつきます。 ところがパソコンのディスプレイでは、表示された画面しか見ることができません。 それでなくてもパソコンのディスプレイには、やはり制約があります。 書いているときは気にはなりません。 でも読もうとすると読みづらいのです。 いまは二段階に作業を分けました。 最近は、まずワードで書いてしまいます。 そのうえで、ブログ用の文章構成に書き直しています。 ■私流ブログ用の文章の書き方 一 一つひとつの文章を短く箇条書きふうに 二 できるだけ結論は先に書く 三 二~三行で一つのことを言い切る 四 改行代わりに行間を空ける 五 少し多すぎるぐらいに小見出しを入れる 六 自分では少し大きすぎるかなと思うくらいの文字を使う。 一つの文節が一行で終わるように工夫しています。 まさに箇条書きです。 さらには、従来の日本語の文章構成というよりも、私の苦手な英語の文章構成で書きます。 「私は、○○した、○○を」というような構成です。 上手く表現できないときは、短い文章に書き直して、順序を置き換えます。 普通の文章の場合の改行に当たるのが、二、三行ごとの一行空きです。 パソコン画面では、どの行を読んでいたのかさえ分からなくなります。 書いている本人は、全体の構成が分かっているので気にもなりません。 でも画面で初めて文章を読む人にとっては、出口の見えないトンネル状態です。 いま、あなたの読んでいるところはここですよ、と指し示す必要もあるのです。 さらには、どこまで読めば文章が終わるのかも暗示しなければなりません。 ■ブログ用文章を本の原稿用文章に書き改める これからの出版は、ブログと本を連動させることを、視野に入れて進めようと考えています。 ブログで掲載して、興味をもたれた方に本を買ってもらうという方法です。 ブログの段階で、いろいろなご意見を聞くこともできます。 それらの意見や反応を参考に、本のための完成原稿へと仕上げます。 私も常に二種類の原稿を書いてみて、自分の勉強にしています。 ブログ用を先に書くか、出版物用の原稿を先に書くかは、その人の自由です。 私の場合は、ブログに掲載した文章を、そのままつなげれば本の原稿になります。 行間の空けてあるところで改行です。 一番簡単な方法として考えました。 ブログと本作りを連動させる方法は、ほかにもいろいろとあると思います。 ぜひ皆さんの知恵を貸してください。 ブログ発の本作りはまだスタート地点です。 このあとに紹介するのは、本にまとめるための文章の基本です。 同じことがブログに掲載する文章でもいえるのではないでしょうか。 参考にしてください。 ■読みやすい文章にはリズムがある 書くときには言葉のリズムに乗らないと筆が進みません。 リズムに乗って、一気に書きあげることが必要です。 読むほうだって同じです。 言葉にリズムがないと読みづらいものです。 読者の立場に立ってリズミカルに読めるかどうかが問題です。 書いた人は流れが分かっています。 少々長いセンテンスも気になりません。 でも読者は、霧の中をさまよっているのです。 話の出口の見えない文章は苦痛です。 結婚式のときの、いつまでたっても終わりそうもない祝辞に似ています。 リズミカルに、さらにセンテンスを短くまとめる練習が必要です。 主語と述語が泣き別れなんて文章は避けたほうがいいですよね。 心地よい言葉には、短歌のように五七五七七のリズムが多いのです。 日本語のリズムの基本が、このようなところにあるのかもしれません。 さらにいまの時代の流れの中で、短い文章が好まれるようになっています。 ■ひらがなの海に漢字を浮かべるように ワープロソフトを使っていると、ついつい漢字が多くなってしまいます。 自分では書けない漢字でも、パソコンなら一発ででてきます。 でもこれでは本人が思う以上に、読みずらく、固い印象を与えます。 私はことさら、ひらがなを多用するように努力しています。 原稿を書いたら、サッと目を走らせて、漢字とひらがなのバランスを見ています。 あとは改行のバランスでしょうか。 歯切れのよい文章っていいですね。 ■起承転結が文章の基本 書いた本人は、分かりやすく書いたつもりなのに、理解してもらえない。 その原因の多くが、読み手の思考回路を無視していることにあるようです。 自分の思考回路にあった展開でないと、読む人は違和感を覚えます。 読み手のほうがそのように求めているのです。 書き手ではありません。 読んでもらうために文章を書く、というのが私の考えです。 それが本を作る目的だと思っています。 期待させ、想像させ、納得させ、さらにエッという意外性を提供したい。 それが文章を書いたり、本にしたりすることの喜びだと考えています。 起承転結は、そのための基本中の基本です。 読み手の側の思考回路も、理解しておくことが大切ではないでしょうか。 ■一般書・実用書の原稿のまとめかた 小説など文芸書の書き方は、さまざまな本もだされているので、そちらに譲ります。 ここでは、いわゆる一般書・実用書のまとめ方をご紹介します。 誰もが伝えたいこと、知ってもらいたいことをもっています。 それらの本の書き方とまとめ方について、私なりの考え方をご紹介します。 「私ならこのようにしますよ」と伝えるのが一般書や実用書です。 これから紹介するのは、著者や編集者の、一人よがりにならないための留意点です。 問題はどのように表現すれば、読者に理解してもらえるかです。 同じ本でも、読者の経験や知識によって読まれ方が違います。 これは小説でも同じです。 さらに読者の知識水準は、常に変化しています。 だから再度読んだときに、新たな発見と感動があるのです。 ■伝えたいポイントを整理する 読者の成長をうながし、読者とともに成長する本が、ロングセラーとなります。 そのためには、全体の構成を整理しておくことが大切です。 目次と、そのそれぞれの項目に何を入れるのかをメモした一覧表を作ります。 全体としての問題点の整理は、一般書や実用書の一番の基本です。 行き当たりバッタリでは、読者を混乱させるだけで終わってしまいます。 項目を列記して、さらにその中で何を伝えたいかを、箇条書きにするのです。 すでにこれで、本作りの半分以上の作業が終わったと思っています。 項目の整理は、それほど大切なことなのです。 ■実用書では、文章を書く前に写真や図表、イラストを整理します 特に実用書の場合、文章なんて一番最後でいいのです。 一枚の写真が、すべてを物語ってくれることもあります。 各項目に合わせてバランスよく、写真や図表を当てはめます。 これさえできれば、その本の成功は間違いありません。 うまくバランスが取れないときに、イラストを使います。 図表を順番に見て、それだけで本の全体の流れが分かるようなら、最高です。 写真にはキャプション(注釈)をつけて、見てもらいたいポイントを強調します。 文章と図表を関連づけながらも、それぞれの流れを作っておきます。 図表の流れを解説するように、本文の原稿を書くのも一つの方法です。 項目のタイトル、文章、図表のバランスも考えてみてください。 ■文字の多い本の場合は、小見出しとページ割りを考えよう 文字だけで何かを伝えることは意外と大変です。 見出しで読者に概要を伝えておけば、あとの説明は簡単です。 この本もそうですが、私はしつこいぐらいに、文章の間に小見出しを入れます。 まず何をいいたいのかを提示してしまうのです。 読者が本を読んだときの、話の区切りと、テーマがハッキリとします。 ときには、このことはいいやと飛ばして読むこともあるかもしれません。 同じ話が延々とつづくのは誰だって嫌なものです。 見開き二ページ(本を開いたときの左右のページ)程度で、一つのテーマが完結するなら、読みやすい本になります。 私の作った一般書は、見開き二ページで一話完結型が多いのが特徴です。 見開き二ページで、どの程度の文章量が入るのかを計算してから、書き始めます。 ■読者の予備知識を引きだすことがベースになる 文章のうちの八割は、読者がすでに知っていることの問題点の整理です。 ところが新しく本を書く人は、ほかの人が書いたのと、違う点ばかりを強調する傾向があります。 「それぐらいのこと知っているよ」と思われたくないのです。 一冊の本に、目新しいことだけを盛り込んでは、読者を混乱させるだけです。 読者の基礎知識をうまく整理して、さらには引きだすことがベースです。 そして、その上に新しい提案をするのです。 「うん、そうだよね」「そうだったよね」「そうだ、そうだ」と読者を誘引することが必要なのです。 さらりと読めて満足できる本は、すでに読者自身の中に、共感したり、納得できる要素があるからです。 それまでは、具体的なイメージになっていなかったり、言葉になっていなかったものが、一冊の本と出あうことによって、イメージが膨らみ現実化します。 読者にとっても、本との出あいは、いままで気づかなかった自分自身との、出あいなのです。 ■強調すべき点は言葉を代えて繰り返す 書いた本人ほどには、読者は細部を覚えていません。 意外と飛ばして読んでいます。 同じ文章からでも、異なる感想をもつ人が多いのは、避けられません。 だからといって、同じ言い回しの繰り返しも嫌われます。 また、繰り返しを同じ項目でやっていては飽きられます。 全体に散らばすことも必要です。 飽きさせずに、強調すべき大切なことを見すごされない工夫が必要です。 例えを代えたり、表現方法、言い回しを代えて、繰り返し理解を求めます。 さまざまな読者の置かれている状況や、気分感情を想像しながら、広範な読者のイメージを引きだす例えや言葉を、つむぎだすことのできる著者が、優れた作家といえるのではないでしょうか。 一冊の本から、たとえ一つだけでも、脳裏に深く刻んでもらいたいものです。 それができれば、その本の価値があります。 ■一冊の本の構成はワンパターンのほうがいい ブログをつづけて書いていると、じょじょに一つのパターンができあがってきます。 でもそのほうが、本人が書き込みやすい以上に、ほかの人が見ても読みやすいのです。 クセのない文章を書く人なんて、ほとんどいません。 文章構成についても同じことがいえます。 十人十色、それぞれがクセや特徴をもっています。 ブログでも本でも、読者は書いた人のクセをまず理解しようとします。 そのうえで内容の理解へと進んでゆきます。 とくに本にした場合は、用字用語の使い方などにも統一性が必要です。 同じ言葉などは、漢字を使うか、ひらがなを使うか決めておきましょう。 「ですます調」の言いまわしを急に「である調」に代えたりすると、読者を戸惑わせるだけです。 言葉の使い方だけでなく、章立てなどの構成でも同じことがいえます。 ■目次を見たときに、全体の流れが分かる構成を 一般書や実用書をまとめるときに、まず全体の構成を考えるのは当然です。 目次を作ったときに、それだけで全体の流れが見えるようなら、申し分ありません。 章や項目ごとの見出しの言葉も大切です。 その項目で伝えたいことを象徴して、さらに興味を引きだす言葉です。 もちろんときには、編で区分するなどして、大きく構成を変えることもあります。 編で分けることは中身にもよりますが、それでもせいぜい、二つか三つのパターンです。 ブログやパソコンソフトの便利なところは、あとで置き換えができることです。 言い回しなどもあとで統一できます。 ペンで書いた場合はそうはいきません。 ワープロやパソコンの登場によって、文章を書ける人が増えてきました。 私もそのうちの一人です。 これでも結構、原稿を書き終えてしまってから悩むのです。 以前は、一度書き上げた原稿をゴミ箱に放り込んで、もう一度最初から書き始めたなんてこともたびたびありました。 でもパソコンの登場によって、幾度も書き改めることが可能になりました。 物書きにとって、こんな便利な道具はないって思っているのは、私だけでしょうか。 ■やはり最後は第三者の目が必要です 誤字の校正だけではありません。 違った視点で見てもらうことも必要です。 それでなくても、思い込みや勘違いは誰にでも付き物です。 書いた本人の意図に反して、違った意味にとらえられることも多いのです。 本人にはいいたいことのイメージはあっても、読者には分かりません。 ちょっとジョークで逆説的に書いたことが、まともに言葉どおりに受け取られたりします。 筆者も十人十色なら、読者のほうだって十人十色なのです。 編集者は、著者にとっては最初の読者、読者にとっては本の料理人です。 本来編集者は、著者と内容を吟味して、さらに読者の興味を引くように仕上げます。 著者に迎合することなかれ、読者に媚びることなかれが、編集者のスタンスです。 物分かりのいい編集者よりも、注文の多い編集者のほうがいいですよ。 そういえば、この本の原稿を、先に紹介した国際書院の石井社長に見せました。 「いいんだけどよー。何か欠けてるよな。画竜点睛を欠くっていうだろ。お前の文章は点睛が欠けてんだよ」 ギクっ。反省します。 でもどうすればいいんだろう。 これからの私の課題です。 第五章へとつづく |